平成の青

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2012年02月04日

テルニストとの再会。

テルニストとの再会。『真夜中の手紙 / 宮本輝』

肩をすぼめ、羽織ったコートから指先だけ出し財布を持つOLさん、牛丼屋から出て信号待ちをしながらコートを着込むおじさん。若いサラリーマンはテイクアウトのビニール袋を3つも抱えながら、カレー屋の前で小銭を探している。それぞれの新宿のお昼模様を冬の弱い陽射しが照らし出す。僕はそんなランチタイムの雑踏を抜け、駅へと通じる地下道へ。

「やっぱ紀伊国屋行かないとダメかあ」駅構内の小さな書店だけあって、漫画と雑誌以外はビジネス書やハウツー本の類いが少しあるぐらいで目当ての本はない。腕時計を見つめ、少し早足にサザンテラスへ。紀伊国屋へとわたる橋の上で、見慣れた文字が飛び込んで来て、しばし足を止める。

宮本輝 骸骨ビルの庭(上・下)発売 講談社文庫

ビルの側面6、7階からかかる大きな横断幕が、線路が何本も並ぶ方向に向かって風に揺らめいている。大きな宮本輝の3字を感慨深げに見上げながら
「文庫も新しく出たのか。この本のことは知ってるのかな」しばらく連絡を取っていない友人Sさんの顔が浮かんだ。

Sさんは学生時代にしていたカフェでのバイト仲間のひとりで、同時に僕が書いた文章をいつも最初に読んでくれる、たいせつな読者だった。そしてお互いに宮本輝という作家が大好きなテルニスト同士でもあり、バイト中はよく宮本文学の話をした。

Sさんはちょっと変な特技を持っていて、それは
「あの一面が濃い紅色に染まった山々のシーンだけど」とか、
「それって暗い夜道に花びらが舞っている感じのあれ?」などと、
いつも作品を読んでいたときに想像した色や情景を、言葉で1枚の絵のように描いて話すことだった。
Sさんは作品名やストーリー、登場人物のセリフではなく、想い描いた情景で小説を記憶している、文学を語らう相手としてはちょっと困ったお方だったのだ。

言うまでもなくそれは宮本輝の小説を読んでSさんが描いた世界であり、僕の想像するそれとは違う。
「え、何の作品のどの場面のこと?」
そう訊く度、より詳細にSさんは自分が見てきた世界を僕に伝えようとする。僕はなんの話かますます分からなくなる。でもSさんと話す本の話はとても楽しかった。思い返すとああいう何気ない会話はすごく贅沢な時間だったように思う。

あるときSさんは『血の騒ぎを聴け』という文庫本を僕にプレゼントしてくれた。それは宮本輝のエッセイ集のひとつで、本の最後には
「有限なエネルギーを今後はできるだけ小説に使いたい、なのでこれが私にとって最後のエッセーとなるかもしれない」そんな筆者の言葉があった。2001年に出版された本だ。

だからこそ『真夜中の手紙』という新作の発表をAmazonの"エッセイ"コーナーで見かけたときは驚いた。そしてその新作エッセイを買って読んでみて、よかったらSさんにも教えてあげようと思ったのだ。
書店で実際に手に取ってみると『真夜中の手紙』は宮本輝の公式サイトに設置されている、「Bar Teru's Club」通称BTCと呼ばれる宮本輝と読者の双方向掲示板、そこでの筆者によって書かれた文章をまとめたものだった。だからこれは純粋にエッセイとは言えないかもしれない。かといって小説でもない。
しかし読んでみると、これはまぎれもない宮本輝の文学なのである。

ー宮本輝が毎夜聴いて寝る数々のJAZZの名盤や志ん生の落語についての話、そのリズムにのって語られる数々のエピソード。
標高3700メートルのタシュクルガンという中国とパキスタンの国境の町で深夜2時に見た、泣きながら歩く女と、その女を追う7、8歳の男の子の後ろ姿。宮本氏にとって特別な存在である大作家、井上靖氏との対談その裏話。ベオグラードの露天商のおばさんの笑顔、パキスタン北西部の村で夜中に見た人工衛星の光、31年前に作家水上勉氏と避暑地で探した懸賞金50万円がかけられた犬。(この話がヒントになりのちにあの『避暑地の猫』になったそう!)
それらは上質な小説の原石と呼べる素晴らしい話ばかりであった。

しばらく本と言えば仕事の技術書しか読んでなかった自分にとって『真夜中の手紙』は軽く読めるが味わい深い、ちょうど良い1冊だった。ひさしく触れてなかった読書のよろこびに出逢い、うれしい気持ちになった僕は、少し読み始めたところでSさんにメールを送った。もう宮本輝とは無縁の生活を過ごしてるかもしれないと思いながらも...。

しばらくしてちゃんと返事が返って来た。

>わたしは骸骨ビル~を買いました。
まだ読んでないけど。
(^_^;)

とてもしあわせな気持ちになった。
僕は『真夜中の手紙』を読み終えるとすぐ、再び紀伊国屋への橋を渡った。

『真夜中の手紙』
宮本輝
著者公式サイト「The Teru's Club」の『Bar Teru's Club』登録メンバーに宛に綴った話をまとめました。
身辺の出来事、創作秘話から、ビル・エヴァンスや志ん生の名演、水上勉や井上靖など先輩文士との交流まで、公式サイトに綴られたとっておきの話。

※写真、説明文はamazonより引用させて頂きました

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