平成の青

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2011年09月28日

謝罪を受け入れる時

謝罪を受け入れる時

震災の起こった3.11の明け方、母親が入院した。腸閉塞になり、未明に救急車で搬送されたという。母自らが入院先から僕の携帯に連絡をくれた。
「だいじょうぶかよ」と訊くと「だいじょうぶ...じゃ...ないから...もう...切る」とだけ言って、電話は切れた。それから約8時間後の14時46分、のちに「東日本大震災」と呼ばれるようになる地震を、僕は屋根裏部屋のような会社の2階でむかえることになる。

「自分から連絡して来て大丈夫じゃないってどゆことよ」そう思いつつ会社に到着してから"腸閉塞"とはいかなる病気かを調べ、さいわい命には別状はなさそうだと考えていた。しかし、この地震によって治療が遅れる等の事態が発生したかもしれない。今朝のことを考えると、電話だと負担をかけてしまう可能性もあると考え、僕は仕事後に病院へ行くことにした。

たいへんな状況の街を、車と人の間をカブですり抜け走る。病院に着くと21時を過ぎていた。面会時間を超ぎていたので、せっかく来たのに門前払いになること心配していたのだが、この夜そんなことをとがめる人はいなかった。

しばらくぶりに見る母の顔は憔悴しきり、うすら汗で髪がひたいに張り付いていた。そのやつれた様子がこの半日がどれほどつらい時間だったたかを代弁していた。地震で予定された手術ができず、そのままになっている状況だけ聞くと、明日は自分か父親が必ず来ること、家のことはなにも心配いらないことだけを伝え、5分ほどの滞在で帰ることにする。
自分が思っていたよりも、この国も母もはるかに大変な状況にあることを感じながら、川越街道を走り実家へと戻った。

じつは父親とはケンカをして、恥ずかしいほどの時間、口をきいていない間柄だった。

だが家に帰ると意を決して父親の部屋をノックし
「帰りに病院に寄って母の様子を見て来た。おたがいにいろいろとわだかまりはあると思うが、大変な今は協力し合っていきたいと考えている」
そのようなことを伝えた。
じつは緊張し過ぎて、自分でもどういう言葉でそれを親父に伝えたのか、よく覚えていない。でも最後に「今、親父が仕事で本当に忙しいと聞いているから、もしよかったら明日は自分が入院手続きに行くよ。必要だったら携帯に連絡くれ」と言ったことは覚えている。

自室に戻ると、暖房が付かずうすら寒い部屋のベットへとよこたわり、天井をぼんやりながめていた。そうして父親がただ黙って話を聞いていたときの険しい横顔を思い浮かべ、病院には明日父が自分で行くだろう、そう思った。
ドアをノックする音が聞こえたかと思うと父が入って来た。片手に持った紙袋から書類の束と印鑑を取り出し、手続きの方法を自分に伝えると
「お前が行ってくれれば助かる」最後にそのようなことを言って、出て行ったー

ー僕は「好きな映画は?」と聞かれると迷わず「グラントリノ」と答える。なんでそこまでこの映画に惹かれるのか自分なりに考えると、この映画に出てくるイーストウッド演じる偏屈なウォルトという老人に、父が重なるからかもしれない。いや重なるというよりも重ねたいと言うべきだろうか。

父親とは震災の夜以来、少しずつ会話をするようになり、先日は自分が幼いころによく連れていってもらった長野県にある女神湖というちいさな湖へと旅行にまで行った。道中沈黙に絶えきれず、女神湖の歴史についてとか、最近できた高速道路についてとかお互い興味がないことについてしきりに話したかと思えば、ひたすら黙っていたり、やはり自然な感じではない。

だが言葉はすくないが男同士、お互いに謝罪をしそれを受け入れた、そんな関係になった気がしている。映画のウォルトという老人と青年タオのように、ここから新しい関係を築いていきたい。

「グラントリノ」
妻に先立たれ、一人暮らしの頑固な老人ウォルト(クリント・イーストウッド)。人に心を許さず、無礼な若者たちを罵り、自宅の芝生に一歩でも侵入されれば、ライフルを突きつける。そんな彼に、息子や孫たちも寄り付こうとしない。
学校にも行かず、仕事もなく、自分の進むべき道が分からないモン族の青年タオ(ビー・ヴァン)。彼には手本となる父親がいない。2人は隣人同士だが、挨拶を交わすことすらなかった。
そんなある日、ウォルトが何より大切にしているヴィンテージ・カー"グラン・トリノ"を、悪い仲間にそそのかされたタオが盗もうとする。
しかし、タオが謝罪し、ウォルトがそれを受け入れた時から、2人の不思議な関係が始まってゆきー

※写真、説明文はamazonより引用させて頂きました

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